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伊達政宗がこよなく愛した
香木「伽羅きゃら」の香り
沈香(じんこう)は、熱帯アジア原産の木が変質してできる代表的な香木のひとつ。その中でも特に質の良いものは伽羅(きゃら)と呼ばれ、古くから珍重されてきました。
沈香は、風雨にさらされたり虫に食われたりして木部が傷ついたときに分泌される樹脂が、何十年にも渡って変質し固まったものです。沈香のもとになる木が倒れたあと、腐ったり微生物に食べられたりして、木の部分はなくなりますが、樹脂が凝縮した部分は残ります。それが、沈香です。
沈香は、そのままでは、特に香りがするものではありませんが、熱を加えると、えもいわれぬ、極めてよい香りを放ちます。伊達政宗が愛した「伽羅」の香りです。
伊達政宗が所持した
一木四銘いちぼくしめい、伝説の香木
伊達政宗は、茶道とともに香道にも造詣が深く、名香をいくつも所持していましたが、中でも有名なのがこの伽羅です。
「一木四銘」とは、四つの異なる銘を持つ一木の伽羅です。
伊達政宗が所持した香木は、そのうちの一つです。
通常、一木の伽羅にはひとつの銘であるところ、この香木はあまりの見事さに一木の伽羅を巡っていさかいが起こるまでになったことから、これを四つに分け、ひとつは宮中に、残りの三つは肥後細川家、加賀前田家、そして伊達家で三等分したとされています。
初音 きくたびにめづらしければほととぎすいつも初音の心地こそすれ 加賀前田家
柴舟 世のわざのうきを身につむ柴舟はたかぬさきよりこがれゆくらん 伊達家
白菊 たぐひありと誰かはいはん末匂ふ秋よりのちの白菊の花 肥後細川家
藤袴 ふじ袴ならふ匂ひもなかりけり花は千草の色まされども 宮中
伊達政宗は自らの
香木伽羅に「柴舟しばふね」と命名
寛永3年(1626)、伊達政宗は手に入れた香木に、「柴舟」という銘をつけました。

「柴舟」は、薪にする柴木を積んで川面を運ぶ小舟のことです。この柴舟について、能の「兼平」という謡曲に、「憂きを身に積む柴舟や、焚かぬ前よりこがるらん」という一節があります。政宗は、本来香木は熱しなければ香りを発しないものですが、この伽羅は焚く前から香気を放つほど素晴らしい香木であるとの意味をこめて、名付けられたのです。

このことは、政宗が記した伊達忠宗あての書状「松平伊達越前守宛書状」に、記載されています。

松平伊達越前守宛書状「世の業の、憂きを身に積む柴舟や、焚かぬ前よりこがるらん」松平伊達越前守宛書状「世の業の、憂きを身に積む柴舟や、焚かぬ前よりこがるらん」松平伊達越前守宛書状「世の業の、憂きを身に積む柴舟や、焚かぬ前よりこがるらん」

大まかな内容は、
「以前から約束していた伽羅の香木を送る。これほどの香木は珍しいので、みだりに人に分け与えてはならぬ。名は柴舟とつけた。謡曲「兼平」に「憂きを身に積む柴舟や、焚かぬ前よりこがるらん」とあることを踏まえ、焚く前から香るとの意味を込めて」
というものです。
伊達政宗の愛した香木「柴舟」の香り
伊達政宗が生きた青葉山の墓所の周囲
歴史に思いをはせて。
伊達政宗が生きた青葉山と墓所の周囲は、スギ林となっており、一体とした霊域を形作っています。樹齢300年以上とみられる老杉も多く、建築物や墓地を風雪から守る役割も果たしていました。
「伊達政宗香」には、青葉山に群生するモミとスギの香りをブレンドしています。政宗が生きた時代の香りを思い浮かべながらご使用ください。
寝るときに。
天然由来の成分を使用しているため、リラックス効果にすぐれています。
寝る前に、タオルにひと吹きし、胸のあたりにかけて使用すれば、やさしい香木と深緑の香りが、あなたを400年前の夢へと誘います。
伊達政宗香で安眠効果
伊達政宗香で仕事や勉強もリフレッシュ
読書や勉強、デスクワークなどに。
長時間の読書や勉強、デスクワークは気づかないうちに疲労が蓄積しがち。気分転換に、周囲の空気にシュッとすれば、心がさっとリフレッシュ。
マスクスプレーにも。
日常生活で、マスクを着用することが多くなった昨今。暑い季節はもちろん、涼しくなったときにも、マスクにさっとひと吹きすれば、さわやかな香りがあなたを包みます。
伊達政宗香をマスクにひと吹き
天然由来の成分を使用しています
オリジナル酵母や麹で発酵・蒸留させて作ったオーガニックライス・エタノールを使用しています。
岩手県奥州市の休耕田を耕して育てた無農薬・無化学肥料米(有機JAS認証)を、時間をかけて丁寧に発酵・蒸留させて作りました。ほのかにお米の香りがするエタノールです。
岩手県産有機JASオーガニック認証天然発酵お米エタノール
伊達政宗騎馬像 伊達政宗騎馬像
伊達政宗ロマン
仙台藩祖伊達政宗は、1567(永禄10)年、米沢城に生まれ、18歳で伊達家を相続しました。
1591(天正19)年、豊臣秀吉の命により、米沢から岩出山(宮城県北部)に移り10年を過ごしたのち、1601(慶長6)年、徳川家康のゆるしを得て、35歳のとき仙台城を築き、伊達家62万石の基礎を築きました。
伊達政宗は、戦国大名として、政治、軍事面での活躍が広く知られていますが、その一方で時代を代表する文化人でもありました。上方に負けない気概で自らの「都」を作り上げようと、東北の地に根付いてきた文化の再興、再生を目指しました。
伊達政宗が見た街並
仙台は、初代仙台藩主伊達政宗(1567(永禄10)年〜1636(寛永13)年)によって築かれた仙台城の城下町です。
政宗は、関ヶ原の戦いの直後、1600(慶長5)年12月、青葉山の山上に城(本丸・標高115m)の縄張りを行い、翌年建設に着手、広瀬川の河岸段丘には城下町を作りました。
現在の仙台の街は、江戸時代の城下の範囲を大きく越えて拡大し、人口100万人を越す政令指定都市です。市街地の緑は、天然記念物青葉山や市街地を流れる広瀬川とともに「杜の都・仙台」を代表する自然と憩いの場となっています。 青葉山からの仙台市の街並み
瑞鳳殿
伊達政宗は、1636(寛永13)年、70歳で没し、遺言により、経ヶ峯(きょうがみね)の瑞鳳殿に埋葬されました。
経ヶ峯は、伊達政宗が生前ホトトギスの初音を聴くため登った場所で、同行の家臣にここに墓所をつくるよう命じたとされている場所です。
木造三間四方の建物は、漆極彩色によって仕上げられた、桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な廟です。
1931(昭和6)年に国宝に指定されましたが、1945(昭和20)年の戦災により消失、1979(昭和54)年に再建されました。 瑞鳳殿 伊達政宗公が眠る霊室
青葉神社
青葉神社は、1874(明治7)年、伊達政宗を祭神として創建された神社です。
参道を登ると社殿があり、池の中の島には政宗の臣下を祀り、本殿内には、夫人を祀った愛姫(めごひめ)神社があります。
5月の第3日曜日とその前日の二日間、この青葉神社ゆかりの「仙台・青葉まつり」が開催され、全市をあげての祭りとなっています。 青葉神社 伊達政宗公を祭神として創建された神社
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いろどりクラフト
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■製造元
株式会社 モノクラフト
〒983-0841 宮城県仙台市宮城野区原町3-7-14 ビジュアルタワー宮城野2階

■伊達家家紋使用許可
許可番号 3079